取扱説明書

私について

こんにちは、Ayu Awasatoです!
自己紹介ページに来てくださってありがとうございます。
人様の経歴を見るのが趣味でした。ですので、私も経歴を載せよう!と思い書いた次第。

(追記)

・新卒三年目記事を追加しました。

経歴

小〜高校時代

小学校の時からポケモンが好き、ゲームが好きな子供でした。
父親がエンジニアであったこともあり、パソコンは1999年台から触っていた記憶があります。そして、中学ではweb制作にはまりました。
web制作で楽しかったことはHPを自由自在に見た目を変えれること(サイトデザイン)と、人との交流を自分で作り出せること。
自身が内向的であったために、どこかしらかで社会や他の人と繋がっていたかったんだと思います。

そんな最中に、両親が離婚。中学3年生のことでした。そのあとに母親方に引き取られたものの、母親が精神を崩すなど自分の意思を貫き通すことの限界を見ます。家庭がこんなことになったのに、他人とどう関われば良いのかわからない!と思ったことを覚えています。
中学・高校では自分の世界にこもりきり、あまり他の人のことを考えてきませんでした。ただ、幼馴染や私のことを気にかけてくれた周りの人たちに助けられきました。ですので全体的に人間が好き、人と関わることの憧れは持ち続けていました。

私を変えてくれた作品群「fate/stay night」

高校3年生の時、「fate/stay night」というゲームを行いました。

とても衝撃を受けました。というのもキャラクターそれぞれが作り出す物語について。
セイバーは自分の望みを貫き通そうとした。衛宮士郎は偽物だと分かっていてもそれを受け入れた。
なんてかっこよくて美しい話なんだろうと。
私は今までなんて生き方をしてきたのだろうと。
初めて物語に惹かれました。今の現状から抜け出したいと思いました。このように思う理由はわかりませんでした。だから、倫理を学べば、この答えのヒントがわかるんじゃないか?と思い、倫理の本を片っ端から読んでいきました。

カント哲学をたまたま読んだ際に、世界が反転するような衝撃を受けたことを覚えています。何かを決めて生きていく美しさ。それはなんて綺麗な生き方なんだろうと思いました。自分に意思を置かず、ルールに従って生きること。私も、踏襲して生きていこうと。(ただ、これは後に私に大きな問題を与えることになります。)

哲学に興味が出て、文学も好きになりました。文学が好きになって西洋の文化全般を知ろうと思いました。
どんどん好きなものが広がっていきました。美しい世界が広がっているのだと思わされました。
この影響は今でもずっと受け続けています。

セクシュアルマイノリティ

今思えばなのですが、自分の性別に違和感がありました。
現在でこそアセクシャルを自認してますが (⇨詳しくはこちら)高校の時、みんなが何気なく行う行動が私にはわからない。家庭のことだけではなく、私は私自身のことも持て余していました。

大学受験期

大学受験期には机の前に座ることすら難しい状態でした。
周りからの声に

「ああ、私は頑張ったよね。もういいか」って思わされました。気づいた時には浪人してました。
ここで頑張れました!ストーリーとかあったらよかったんだけど、私はただ生き延びただけでした。
そして、何もできなかった分、ずっと本だけを読んでいました。

大学浪人期

メンタルヘルス

浪人期は地獄のようでした。まず、起きれなくなりました。そして夜に眠れないのです。思考がずっと回って回って止まりませんでした。勉強ができない。これは私のせいなのだろうか環境のせいなのだろうか、わからなくて自分のせいだと自分を責め続けました。

今思えば家庭環境からの重圧、受験のプレッシャー。父親からは年中否定の言葉や怒鳴り声を聞いていましたので、その影響もあって精神バランスを崩していたのだと思います。

だけど、そう言った重みを努力で乗り越えられる、と思ってました。

潰瘍性大腸炎

ある日、模試に行こうとしたら、電車で倒れました。親に「体調管理すらできないのか!」と怒られて病院に行ったら、潰瘍性大腸炎でした。

そうこうしている間に祖父が亡くなってどうしたら祖父を忘れずにいられるんだろうということを考えたりしながらとにかく生きて、現在の大学に合格しました。

大学に入る前に考えていたことがあります。

・自分の軸となるものを見つけたい。
・大学を卒業したら修道院に入ろう。

もうこんな世界はいらない、けど生き延びなくちゃいけない。
大学4年間でどうしたいかを決めよう。そう思って大学へ入学しました。

大学時代

京都にて

入学早々やばい人、って言われました。私は結構本を読んでいたそうです。

大学入学時は失敗続きや家庭環境不和のため、自分に対する自身、自己肯定感が欠如していました。また、体調が優れず、朝に起きると吐き気で動けず、満足に体を動かせない状況でした。

どうか大学で生きるための何かを見つけられますように、と。

寮生活を経て

体調

大学に入った私はまず体調を取り戻さなければいけませんでした。午前中に2時間歩いたらもう午後が活動できない、IBMも平均値を下回っており何かをしようにもできない状態でした。

寮生活の規則正しい生活のおかげで、体調不良はだいぶ改善されました。

また、食欲も出てきて、体重も平均程度に戻りました。幸せ太りですね。

安心できる場所ができるってこういうことなんだなって思いました。

ホームシック

体調不良に加え、さらに追い打ちをかけたのがホームシックでした。

私の家庭は両親は不仲であれど、兄弟仲はとってもよかったのです。そのため、兄弟と話せない、加えて持ち前の人見知りが愛極まって、夜になるたびに布団の中で泣いていました。

GWに実家に帰省し、京都に帰省する際、新幹線の扉の前から数秒動けませんでした。

だけども、後ろには新幹線に乗る乗客の方が何人もいるのです。私はその場で少し泣きましたが顔を伏せて新幹線の車内に入りました。

大学1年の際、初めてアルバイトをしました。

尾道にも行きました。

その時以来、私はもう大丈夫だ、という思いが浮かびました。

大学2年生になって、やっと思考ができるようになってきました。

就職のために休学等はできない。リスクが高すぎる。4年間で学べることは少ない。やりたいことはいっぱいある。じゃあどうするか?私は大学でやりたいことをできるための地盤固めをしようと思いました。

基本的に自ら苦手な場所に飛び込んでいってフルボッコにされまくってます。

離島での就業体験

大学2年の夏休みに、加計呂麻島というところに就業インターンへ行きました。

格差に愕然としました。私は恵まれている方だった。同時に、都会の恵まれている人たちも見ました。天から地まで。気持ち悪くなりました。心身ともに折れました。

言われた言葉は「何も話さないからつまらない」でした。内心「くっっっ」でぴえんのこころでした。

仲良い友達から束縛、距離を置きました。

そんなこんなで

環境団体にインターンをしに行って何もできないことに気づかされ、海外へパックパッカーへ行ったらキャッシング設定をし忘れるなど色々フルボッコにされましたが、フルボッコにされるたびにひとり反省会をして、自己分析をし続けました。

あ、もちろんボランティアへ行ってある程度コミュニケーションの勉強をしたり、染物のプレゼンをしたり、インスタ運用したりとっても勉強しました!

結果、フルボッコにされ続けた甲斐があって就職活動に全く困りませんでした。

とりあえず就職活動2020年3月就職活動終了。ITエンジニア職です。

2020年6月

2020年6月、田舎フリーランス養成講座(ワークキャリア)を受講しました。

色々な選択肢を選ぶための基礎になりました。本当にありがとうございます。

大学生活を振り返ってみて。卒論まで終わって

京都で学べるものは学び切ったかな、という気持ちでした。
大学生のカードも使い切った。
修道院入ろうかなと思っていた人にしてはよくやったかと。

社会人

新卒一年目

研修

ただいまここです。ネタがいっぱいなのでブログでアウトプットしていこうと思います。新卒頑張ります・・・。

新卒三年目

転職しました。ぼちぼち元気で、都会の洗礼を受けました、、また記事にします。

大切なもの

読書

メンタルがやられて体調さえもダメになっていって、私ができることは本を読むことぐらいでした。

ずっと本を読んでました。哲学や西洋文学をずっと。1年、2年、毎日泣きたい気持ちで生きてました。

生きることが怖くて辛くて仕方がありませんでした。同時に自分自身にも絶望していました。プライドだけあって、何もできない。見てきたのは私の中だけであり、目を見張ればもっといろんなものが世界にはあったのに。気づけなかった・・・。同時に、私には考えるだけの基準も、私自身の自身も、信頼も、何もないことを突きつけられたのです。

このまま生きていくのは地獄でしかありませんでした。そう思いつつ、現実の時間は進んでいきます。年齢が上だから偉いとかじゃなくて、行動して責任を引き受けていくから意思が伴うんだ。

自分自身で引き受けないと時間はただ通り過ぎる。他人だね。

ずっと、哲学の美しさと文学の美しさを見続けていました。私は物語に憧れ続けていました。

読んでいくたびに、家族との距離感が離れていきました。怒鳴る父や輪の中から外れてスマホの世界しか見ていない母親。私が生活できているのはあなたたちのおかげだけどこんな世界で生きていたくない。

リベラルアーツは精神を解放する。そうだね、だからこの美しさだけは手放しては行けない。
もっと勉強をして、「この世界は地獄だ」なんて言葉を吐かない自分になる。

ちゃんと自分の意思で選べる人間になるんだ。

今思うこと

大学生になって、京都に来た時から、大学受験のいわゆる浪人期で、自分は一旦死んだものなのだと思って生きてきました。生きている実感がありました。善い人でありたい。だからまずはいろんなことを知るんだ自分で行動できるようにするんだ・・・。

そんな時、自分に何ができるんだろう、そう考えていった時、善い生き方をすることと、何かを作り出すことぐらいしかできないんじゃないか。と思いました。

美しいものを受験期に読み続け、なんだか自分が虚しくなっていったのです。

大学1〜3回生の間、生きることに必死でした。そして、もがいていくうちに、いつしか自分を信じられるようになっていきました。チャレンジできるんだ。回数でなんとか私も周りの人と同じ土俵に立てるんだ。

私は修道院に入る、という選択肢を取りたくないから、どうにか他の選択肢が欲しい。

そうして歩いていった先に、真善美という言葉を見つけました。この言葉はこれから先を照らすに、ふさわしい言葉だと思います。

同じ人、っていっても

悔しくて悔しくてたまりません。

恵まれていたことはわかっています。

大学3年生で就職を考えた時、私はまだこの世界は捨てたものじゃないな、と考えることができていました。もう少し、頑張ってみます。

病気について

刺激物を食べると体調が崩れ、だけども、だからこそ今私ができることに誠実に向き合いたいと思います。

これからやりたいこと

感受性をなくさずいきたいです。

私は上記に書いたように、哲学と文学を読むことで生きる気力や道しるべを得てきました。そのため、多分、ある程度は西洋哲学と西洋文学に造詣があります。加えて大学での選考は歴史学です。

離島へ行ったこと、

十分恵まれた環境でここまでこれたこと、矛盾していますが感謝しています。

私にできないことは多くあります。恵まれた人たちを羨む気持ちもあります。

だけど、私にできることだってあります。私にできないことは、他の人に任せて、私は私のできることを一生懸命やろうと思います。

多くの人たちと話す中で、私は意外にも哲学や文学に詳しいこと、また、文学や哲学を読む人はマイナーらしい、ということに気づかされました。私みたいな人は何人もいるけど、

まず、私を助けてくれた、哲学や文学の知識を還元するところから始めたいと思っています。

具体的に

・インフォグラフィックス

・文芸批評

他にもやりたいことは多いけど、誰かに還元できるものは今のところ以上かな。

書いてて親への殺意とか感情とかか振り返してきて時には泣きつつここまで書ききれました!

作品を作る、ということがいなふり参加前までできなかったのですが、コンセプトができました。少しづつ頑張っていきます。よろしくお願いします。

では、ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

ABOUT ME
hakunois
Ayu Awasatoと申します。人文学好きなディレッタント。